嶋野 栄道 老師 アーカイブ
The Shimano Archive

http://www.shimanoarchive.com


禅と誘惑の芸術
The Zen of Seduction

ロビンウェステンで未発表条、1982年8月付。これは、第参照ロバートエイトケン彼の発行年作品にすることです"シマノの物語"ロバートエイトキンアーカイブから
マノア校ハワイ大学。

The Unpublished Article by Robin Westen, Dated August 1982. This is the Article Referred to by Robert Aitken in his Undated Piece "The Shimano Story" from the Robert Aitken Archive in
The University of Hawai'i at Mānoa.
ロビン ウェステン
By Robin Westen
「削減」

彼はソファにもたれながら、長い白衣の帯をゆるめ、腹を軽くたたいて私に笑いかけました。 彼の目 はにこやかに輝いて見えました。 “私達のニューヨーク禅堂をご覧になりましたか?” 彼は囁くよ うに“ついておいで”といいました。

私は彼の前で小さな坐褥に座っていました。 私の足は痺れて?感覚がありません。 禅の修行を始めて 未だほんの一年しか経っていないせいでしょう。

彼は立ち上がって私に手を差し伸べました。

私は遠慮がちに、その手にすがりましたが、足の感覚が戻る前に彼はいきなり私を床から引き上げ、抱 き竦めて、私の乳房を掴み、舌を私の口内に挿入して来ました。 更に私のスカートを捲り上げ、股間 に手を差し伸べて来ました。

一瞬、私は成すすべを失いましたが、それでも私は彼を押しのけ、手で彼を遮りながらそこに立ってい ました。 私は真っすぐ彼を凝視し彼も又私を見返しました。 彼は何事も無かったかの如く振る舞い、 目は依然として微笑んでいました。

私は気分が悪くなり、恐怖と混乱と困惑に襲われました。 肉体的暴行もさることながら、精神的な裏 切りは更に大きな打撃でした。 彼は私の禅マスターであり、師であり、指導者でありながら、是等一 切の信頼を残酷に裏切ったのです。

私はどうしたら良いのか分からなくて、階下に去って行く彼の後を追い、彼が仏像に一礼する姿を見守りました。 出口のサインの上に灯っている赤い電灯を見つけた私は、急いで建物から走り出ました。

通りに出てもまだ震えは止まりません。 只性的暴行を受けたというのではなく、この加害者は禅仏教 界で最も尊敬されている指導者の一人であり、ニューヨーク禅堂の首領、嶋野栄道老師なのです。



嶋野 栄道

このような事件に遭遇したのは私一人であろうか? そうではあるまい。 私はその日の午後、先ず、 50名の過去、現在の弟子達に電話をかけ、調査を始めました。 何ヶ月かの調査の結果、私は栄道老 師が精神的指導者の役を演じながら、何十人もの女性を誘惑、又は誘惑を試みた事実が判明しました。 少なくとも三人の女性は、栄道との性的?精神的関係の末、精神衰弱で入院せねばなりませんでした。

栄道は15年以上にも渡り数々のセックス スキャンダルに関係していた事が判明しましたが、事件が 禅社会に明るみに出る毎に黙殺されて来ました。 更に、禅スタデイ ソサイエテイの前会長より現理事会宛の公開状により分かった事ですが、栄道は個人所得税の支払い義務を無視して来た事、麻薬犯罪人から寄付を受けている事、彼自身の師匠、宋淵老師に対する虐待行為です。

私は是等の告発について栄道に、電話で詰問しましたが、彼は一切を否認しました。



キャッツキルの大菩薩禅堂で私は住持の栄道老師に会いました。 この朝は接心の最終日でした。 接心参加者は七日間の黙想、十四時間中断なしの結跏趺坐、または半跏趺坐の姿勢を保たねばなりませ ん。 堪え難い苦痛等と言う言葉では表現出来ない辛さで、正に人知を超えています。

四時半の開定に始まり、朝課、堂内諷経、一時間半の坐禅、計三時間の後朝食が出されます。 私は椀 のオートミールを見詰めているうちに、これが突然思いがけない美しいものに見え始め、やがて美の真 髄を目の当たりにしているような気がして来ました。 オートミールがこのような美しいベージュ色で ある事に始めて気付いたような気持ちでした。 それぞれの粒が一つ一つ特別の形態でありながら、同 一でした。 感動が全身に満ちあふれ、もはや苦痛は感じられませんでした。 私は嗚咽を押さえられ ませんでしたが、接心の第一重要事項、静寂を保つべしと言う規則を思い出し、大きく深呼吸をして感 情を沈めようと努めました。

その朝少し遅く、私は禅堂の脇の暗い廊下を独参室、案内所に向かって栄道老師に面接するために走り ました。 興奮の中にも、禅の作法、つまり入り口で一礼、師の面前で跪いて更にもう一礼するという 規則は守りました。 部屋の中は真っ暗で?夜間用の電灯が微かに栄道老師の剃った頭の輪郭を照らして いました。 彼は一部の隙もない黒い僧衣を着け、形の良い小さな足が僧衣の下から覗いていました。 彼は私をじっと見詰めていましたが、やがてこれが私に口を開いても良いと言う招きであると気付き、 私は興奮を押さえながらオートミールの経験を話しました。 彼は二三分黙って私を見詰めていました が、やがて彼の判断を述べました。 “貴女が話した事は見性、悟りです。” 彼は両手で私の顔を包 み、彼の胸に引き寄せました。

その夜、最後の座禅の前に栄道老師は、この接心の最終日、僧伽メンバーの一人が悟りを体験したと発 表しました。 そこに座っていた弟子達からは何の反応もありませんでした。 禅で一番大切な事は “解脱”です。 彼は無表情のまま私を見詰め、私はこれに全集中を傾けました。 私は彼の合図を待 ち、やがて合図がありました。 彼は私の方を向いて頭を下げました。

二時間後接心は終わり、私が禅堂を去ろうとしていると、栄道は私に歩み寄り、ニューヨークの禅堂で 一緒に茶を飲もうと誘いました。



私は再び半跏趺坐の姿勢で座っていました。 この時私は神経質になっていました。 確かに私は悟り を開いた、それなのに何故か、得意満面どころか、この一週間と言うもの意気消沈していました。 悟 りによる変化が何も現れて来ないのです。

今私は栄道老師と茶を飲む機会を得た。 私は私の精神的進展について語る為に準備してその場に臨み ましたが、驚いたことに彼は“女性は接心直後が一番魅力的で、セックスに相応しい時期だ。 もし私 の自由になり、皆も解脱の真髄を理解するならば、接心最後の夜皆でセックスをし合うのだが。”と言 いました。

私は彼がふざけているのであろうと思いましたが、禅は謎に満ちています。 禅では“佛とは何か?” と言う質問に対して“糞掻棒”という答えが成り立つように、解き難い概念が込められています。 私 は栄道老師の言葉の真意に深い禅の真理が隠されているのだと思いました。

しかし、栄道老師が私を襲った時全て崩壊しました。 私は精神の指導を求めて来たのに、代わりにセ ックスの対象になっていた。 もし、オートミールの一件が悟りであるならば、これが禅というものな のであろうか?





約五十万人のアメリカ人が何らかの形で仏教を信じており、何千人かの人びとが禅の修行をしています。 怪しげな導師達に導かれて突然現れたカルトと違って禅はゆっくり、着実に、汚れのない名望を築いて 来ました。 報道機関は、好意的と言う言葉が適当でなければ、少なくとも慎重に扱って来ました。 過去六年間に嶋野栄道老師に関する記事が一つ、アメリカ禅に関する記事がひとつ、ニューヨークタイ ムス誌に取り上げられています。

禅は十二世紀に日本で発展し、二十世紀の初期日本僧によってアメリカに紹介されました。 1950 年代にビート族(人生に望みを失い思想、音楽、空想に生きるグループ)に取り上げられました。 更 にミニマリズムの芸術の動きと共に、1960年代には J.D.サリンジャーの書物によりアメリカの上中 流階級に浸透して行きました。

禅が大衆に注目されるようになったのは、鈴木大拙が彼の本の中で、禅は宗教か?と問いかけ“概念的 には禅は宗教ではない、禅には崇めるべき神は無く、礼拝すべき儀式も無く、死後の世界も無いのであ るから霊魂の救済を願う事も無い。”と説明されて以来です。

禅は“空論の哲学”ではなく、根本的本体の実践なのであるから、修行者は“最高権威”なるものを信 奉する必要はなく、唯、涅槃と、大なる空と、存在の無を確認するために励みます。 カトリックの教 会と違って、それぞれの禅堂には教主や神父のような存在は無い。 禅には規則を統制する組織は無い。 事実、形式には全く拘りません。

唯一の権威者は老師または教師で、彼の一番重要な職務は弟子達を悟りに導く事です。 彼はその地位 により弟子達に対して驚くべき精神的影響力を持っており、特に独参室でこれが顕著になります。 二 三時間坐禅をすると誰でも心が開け、様々な状態に至り、心象の世界が変わって見えます。 老師は簡 単に彼の地位を利用して、影響を受けやすい弟子に対し威圧的に説得する事も出来ます。 精神科医が 精神不安定な患者を操るのに似ていますが、老師の場合はこれ以上に強力で、聖職者が結婚や臨終の儀 式で死を神聖化したり、苦しんでいる人を救済する状態に似ています。

合衆国では数える程しか老師はおりませんが、彼らがどんな人物であるか不明瞭です。 聞く所によれ ば、日本では二人正式な老師が存在するそうですが、伝統的な禅では老師は略式の名称です。 一旦老 師の名称を授かると彼は生涯老師ですが、過去、日本では弟子達が師に対しはっきり不満を抱くと、誰 も老師とは呼ばなくなります。 合衆国では違います。





栄道老師の暮らし向きは非常に豪勢です。 ニューヨーク禅堂は223東67番街、禅スタデイ ソサ イエテイ内にあり、東部の四階建ての車庫を豪華に改造したもので、栄道の住居としては十分すぎる構 えです。 しかし栄道と彼の妻は二ブロック離れた、356東69番街の設備の整ったタウンハウスに 住んでいました。 茶に招かれて訪れた時私はしばらく待たねばなりませんでした?彼は毎日欠かさぬ指 圧マッサージの最中でした。

栄道はこの信徒達の多額の寄付による裕福な暮らしに感謝するべきでしょう。 彼の多くの僧伽メンバ ーは事実知識階級の金持ちの男女によって構成されていました。 ウイリアム P.ジョンソン、元ベス レヘム ステイール 鉄鋼会社重役は禅スタデイ ソサイエテイの会計係を務めていました。 芸能界向 け雑誌出版業のジョージ ザウナスは会長でした。 ゼロックスを発明した故チェスター カールソン は三百万ドルを寄付して、キャッツキルに大菩薩禅堂のための土地を購入しました。 作家ピーター マテイセンは(現在彼はリバーデール グループに所属して僧となっている)ローレンス ロックフェ ラーより七万ドルの個人寄付と、毎年一万ドルの寄付をロックフェラー ファウンデーションより保証 させるため重要な役割を果たしました。 レイノルズ タバコ会社相続人でありブルース歌手のリビー ホルマンや、前出版業者、ミシェール ロゼットや彼女の夫、グローブス プレスのバーニーもいます。 栄道は堂々たる風采を誇ってニューヨーク禅堂にある時も、タウンハウスにある時も、大菩薩禅堂にあ る時も、ヨーロッパ、東洋、日本や西海岸を旅行する時も是等の信徒の気前の良い寄付に感謝しても良 い筈です。

大菩薩禅堂は伝統的な形式による仏殿でキャッツキルの小さな町、リビングストン マナーに1400 エーカーの地所を有する荘厳な寺です。 ルート17を車で走ると“ブラウンズ”“コンコード”“カ ッシャー”等の道路掲示板が見え、さらにボーシットベルトの中心街を走り抜けます。 ハイウエイの 出口ナンバー96を出て20マイルで禅堂に着きます。 元ハリエット ビーチャー ストウの館跡で、 見事な26000平方フィートの建物が、これも又見事な30エーカーの湖を見下ろしています。

大菩薩禅堂は日本国外最大の禅風伽藍式の僧院です。 伝統的禅寺として必要な、禅修行場?黙想のため の(坐禅ホール)、儀式、講義のためにはそれぞれ建物があり、読経のための(達磨ホール)、休息と 勉強のための部屋、茶道のための茶室、独参、又は案内用の部屋、日本の伝統的な食堂には低い食卓が あり床には座布団が敷かれています。 中庭、正式な玄関もあり、受付の床の間には非常に高価な仏像 が置かれています。

禅堂にはそれぞれ何万ドルに値する銅鑼や鐘があります。 中でも一つの巨大な銅鑼は日本で精錬され たもので10万ドルの値打ちがあると言います。 手細工になる樫の床、蠟燭の火の形をかたどった1 5の窓、3.5フィートの深さのある風呂が三桶、他に図書室、大きな台所、事務所、会議室、食物の貯蔵 庫、木工所、とりわけ栄道老師個人用の宿舎があることも忘れてはなりません。





栄道は1961年、29歳の時、講演と接心のため渡米した安谷老師の通訳として、彼の師宋淵老師に より派遣されました。 1963年、宋淵老師は彼を永住の目的で派遣しました。 まず、ハワイのこ あん禅堂に居住僧として入門しました。

一般にはあまり知られていない事ですが、こあん禅堂の会長、ロバート エイトケンが電話で私に語っ た所によれば、栄道の三年間の滞在は“スキャンダルと悲劇の醜聞”に終始したと言います。

エイトケンは“私は栄道の性問題を偶然発見した。 私達のグループの中の二人の女性が精神衰弱の発 作を起こし、その内一人は自殺を計った。 是等の情報は全て精神科医より得たものであるが、私はこ のような状態の人びとを助ける為に、精神病に関する知識を得る為に医者に相談した。 そこで栄道が 是等の事件に関与している事を知らされたのです。 1964年のハワイ脱出は、この二人の女性が彼 女の師栄道老師と性関係を持った結果、精神衰弱に陥った事件が直接原因だった。”と語りました。

1976年演芸出版社により出版された南無大菩薩の自伝的文書の中で、栄道は“ハワイは気候的に快 適すぎる。 休暇旅行や老後引退者の住む場所としては相応しいが禅の修行場としては向いていない。” それでハワイを去ったと言っています。 (エイトケンはこの燦然たるハワイで禅の隆盛に成功してい ます。)

自伝によれば、彼は12月31日ニューヨークに到着した。 金も住む場所も無かったが、ホノルルの 空港で知り合ったアメリカ人夫妻のノートを持っており、それには“空港に出迎える事が出来なくて済 まないが、私達のアパートへ直接来られよ。”とあった。 セントラルパーク西85番街の転借の住居 を見つける迄彼はこのアパートに住みました。

彼の唯一の所有物は佛の立像と警策(修行者の精進を励ますために弟子の肩甲骨の間を打つための棒) だけでした。 彼は家具も、椀も、線香立ても、最も必要とする座布団もありませんでした。 それで も、60年代のニューヨークでは、東洋の文明を求める風潮があって、多くの人びとが彼の教えを求め て集まりました。 当時、栄道はニューヨーク市中唯一人の禅マスターであったため、間もなく一部の 人びとの間で、彼が優れた禅マスターであると言う評判が広まり、やがてニューヨーカー達は彼の門前 に押し寄せました。 ある夜等は入室不可になる程満員になったと言います。 弟子達は座布団や毛布 茶碗、寄付金等必要品を次々に持ち寄り、会員も急増しました。 転借の期限が切れた時、栄道は4ブ ロック離れた場所のオフィスの一階に移転しました。

ニューヨークで最初の弟子となった二人の弟子は、彼を賞賛しています。 15年間彼の弟子であった ルース リリアンソールは“私は昔彼をよく知っていた。 彼は驚くべき大事業を成し遂げた。 多く の人びともそうであるように、私も彼の下で修行し、彼なくしてはあり得ない、会得したものについて 彼に感謝している。 疑う余地無く、彼は並外れた人物だと思う。”と述懐しています。

デイスクジョッキーであり、WKHK局のニュースキャスターでもある禅の信奉者ランデイ プレイスは、 “私に言える唯一の事は、私は彼に恩があると言う事です。 彼はあらゆる面で非凡な人物だ。”と述 べています。

オフィスの一階は手狭になり、栄道のもとに集まって来る高名な金持ちの弟子達を迎える為には相応し くないと言う事で、1968年、ある社会的に地位のある夫妻が匿名で東67番街にある四階建ての車 庫を購入し、改造する資金も寄付しました。 1971年には、ゼロックスのカールソンが三百万ドル を寄付し、キャッツキルの敷地に禅堂建立の案が成立しました。

ウオール ストリートの投資家であり、元弟子でもあったピーター ガンビは“栄道老師は寄付金集め の天才だ”と言っています。 “彼は欲しいものは何でも手に入れた。 彼は人に、所持金全部、彼と 禅の修行のために投げ出さなければ、大きな過ちを犯すことになる、と思い込ませる一種の能力を持っ ていた。”と語っています。

1971年9月、宋淵老師は栄道に老師の位を授けました。 それは盛大な儀式で、何百人と言う人び とが列席しました。 通常僧は10年、15年の修行を経てやっとこの位にたどり着くものなのですが、 合衆国では禅教師欠乏のため、急速に老師が必要になったというわけです。 宋淵老師が着任するべき 所を、彼は日本を離れる事が出来なかったため、若い栄道が代わりにその地位に着いたのです。

僅か二三年の間に栄道老師は非凡な才能を発揮し、それとも“因果応報”の哲理によって、何千人もの ニューヨーク人達の間で禅を育て、市内に安息所を作りました。 しかし、禅堂は安楽な場所ではあり ませんでした。





1975年、堂々たる大菩薩で史上最大のセックス スキャンダルが発覚しました。 何年か栄道の愛人 であった一人の女性が、これを他の女性に打ち明け、その結果、栄道には他にも愛人のいる事が分かり ました。 二人で、電話を使用して調査してみると少なくとも6人以上、僧伽内の女性メンバーと関係 があった事が明らかになりました。

元弟子であり、ニューヨークの作家でもあるアダム フィッシャーはこの時期の栄道の行状を“ファッ ク フォリー1”(淫行?第1期)と区切っています。(“ファック フォリー2”淫行?第二期は、少 し小さいスケールで1979年に起っています。)

内部調査で更に6人の女弟子が接心の期間中に彼に言い寄られた事を認めました。 栄道は独参室を誘 惑のための本部として利用していた事が明らかになりました。

そのような女性の一人 ❚❚❚❚❚❚ は、今サンフランシスコに住んでいます。 彼女は栄道の他の女弟子に 宛てた手紙の中で、“私は大菩薩滞在中、栄道老師より仄めかしから淫らな誘いに至るまで、あらゆる 苦い経験をしました。 最初は接心中、独参室で相次ぐ誘い攻めでした。 六ヶ月間私はこの事を一切 口外しませんでした。 禅スタデイ ソサイエテイの理事会員の一人に打ち明けましたが、彼は全然と りあってはくれませんでした。 禅堂を去ってから、私は栄道老師が他の女弟子達とも同様の関係にあ った事を知りました。 その事を私に打ち明けた一人の女性と親しい友達になりましたが、私達はグル ープと栄道老師の名誉のため、私達の苦い経験に関しては沈黙を守り続けました。 栄道と関係を持ち、 やがて飽きられ、捨てられた女性達は、苦しい経験をしています。”と述べています。

栄道の前弟子であったもう一人の女性 ❚❚❚❚❚❚❚ は今家庭婦人として、又二人の子供の母として、フロ リダに住んでいますが、彼女の経験は:“接心中彼は読むようにと言って一冊の本を手渡しました。 その本は七章まであって、接心も勿論七日間ですから私は毎晩階下の尼僧部屋へ行って?この部屋だけは 本が読めるだけの明かりが何時も灯っていた?一章ずつ読みました。 七日目の夜、栄道老師が部屋へ来 て、何をしているのかと尋ねるので、“今夜は七日目で私は第七章を読んでいる”と答えました。 彼 は私をしばらく見詰めた後、付いて来るようにと指図しました。 私は“これは素晴らしい、個人的に 手ほどきが受けられる!”と思いました。 私は彼の後ろについて階上の彼の部屋に行きました。 私 は修行上の精神的な経験について質問を始めましたが、彼は静かにしなさいと言いました。

“しーっ、しーっ、静かに!”と彼は囁くように言いました。

“気がつくと彼は、僧衣を脱いで、素っ裸でベッドに横たわっていました。 ああ、当時の私はこれを 見て、多分解脱に関する試験に違いない、と思ったのです。 今思えば馬鹿げた話ですが、禅の修行に 夢中で、その人物を心底敬っていると、いかなる事態が生じても最善を尽くしたくなるものです。 そ して彼が私にフェラチオを命じた時も、私はこれを演ずる事が最善なのだと信じたのです。 彼はこれ が私に取っての霊性経験であると言いましたが... どうしてもそうは思えなかった。 実を言えば、良 いセックスでさえもなかった。 何故か分かりませんが、解脱の事ばかりが頭にあったせいかも知れま せん。 とにかく、私にとって楽しい経験ではなかった事を彼も察したらしく、それ以後私に対する興 味を無くしたようです。

仮にバーバラ シャスターとここで呼ぶ事にしますが、彼女が私に語った告白です。 彼女は今、元弟 子であった鉛管工と結婚しています。 “私が初めて禅の修行を始めた時、”と彼女は語り始めました。 “私は、自分は同性愛者だと思っていた。 私は、自分は家庭的なタイプであると信じており、常に私 よりも美しい女性に憧れを抱いていた... とにかく、初めて独参室へ行った時、この事を栄道老師に打 ち明けると彼は例の目でじっと私を凝視し... やがて口を開いて“おおお、そおおーか... ”と云い、 しばらくしてやっと彼は“そう言う事なら、それを確かめるには唯一つ...” 彼は非常に長い間私を見 詰めた後、私にプレゼントがあるから後で会いに来るように指図しました。

その夜私は彼に会いに行きました。 彼は箱の中から美しいスカーフを取り出し、これが私へのプレゼ ントだと言って、膝の上で大切そうに弄り回していました。 私は彼の前に座り、くつろいだ気持ちで、 足を結跏趺坐に組んだまま、絹のスカーフを弄り回している彼を見詰めていましたが、彼は一言も口を 聞きません。 突然、彼の手はスカーフを離れて私のスカートの中へ侵入して来た。 私は叫び声をあげ;“栄道老師! 何をするのです。 何をする積りなのですか?” 彼は手を引き、“どういう意味 だ? 私は何もしていないよ、私が何かしたとでも言うのか?”それが私への最後の言葉だった。 そ のような過ちを犯す事などあり得ないかの如く。 私には彼が何をしようとしたのか明白なのですが、 何故彼はしらを切るのでしょう?

バーバラの話は妙ですが、私には理解出来る理由があります。 私が調査を始めたばかりの頃、私は自 分の計画、つまりニューヨーク禅スタデイ ソサイエテイで起きた一件を記事に書く積りである事を、 彼に手紙で書き送りました。 彼は私の手紙を受け取ると、私のABCテレビジョンの事務所へ電話を掛け て来ました。

“貴女には貴女の見解がある、”と栄道は言いました。 “他の人には他の人の見解があるのであるか ら、貴女自身の見解以外書く事はならぬ”

私は同意しました。

“だから、少なくとも私が言いたい事は、貴女が記事を書く時、他の角度から見た私の見解も見て欲し いということだ、”と彼は続けて、“第一に私が言いたい事は、独参室で話した貴女自身の体験、貴女 自身の感情についてだ。 あの時何が起きたか覚えていますか?”

完全に覚えていると私は保証した。

“貴女が私の手を取って、貴女の胸に当てた時、実を言うと私は驚いた。”と栄道は言いました。

“なんですって?!”私は声を荒げて叫びました。

“顔... かかか顔。” 彼は自ら訂正した。

更に私は訂正を加えて、“そのような事は全然起らなかった。 独参室で貴方は私に近寄れと言った。 そして私の手を取った... “

栄道は皆迄言わせず、“そう、それで貴女は私の手を貴女の頬へ持って行った。”

話がオカシクなって来た。“私が私の手を私の頬に当てた?”

“違う、違う、貴女が私の手を取ってあなたの頬に持って行ったのだ。”

“驚いた! 冗談でしょう? そのような事は全然起らなかった!”と私ははっきりと主張しました。

栄道は私の反論にも関わらず続けて、“貴女は私に向かって‘いつまでもこうしていたい’と言ったで しょう”

“天地神明に誓ってそのような事は絶対に言わなかった”と私は断固として主張した。 “私にはっき り分かっている事とは全然違う”

“それが問題だと言うのだ、分かるか?”と栄道は言った。 “貴女が記憶している事と私が記憶して いる事は完全に違っている。 誰も目撃した者がいないのだから、貴女には貴女の見解があり、私には 私の見解があると言えるだけだ。 それが問題だと言うのだ。 貴女に書ける事は貴女の見解であり、 貴女の主観的現実だけだ。”

私が大勢の女性達とインタヴューをしている事を彼に念を押すと、“その話はしばらく置きましょう” と彼は答えた。

“それでは、私がお茶に誘われた事は?”と質問すると。

“そう、それも私自身の見解がある。”

非常に異なった物語がニューヨークでタイプ業を営むタイピスト、仮に彼女の名をロナ スチュアート と呼ぶ事にしますが、彼女によって発覚しました。 “私の方から栄道老師に肉体関係を持ち掛けたの ですから私は全責任を負います。 私達の関係は1972年に始まりました。 私は彼の秘書になり彼 を助けました。 私は彼の業務一切を助け、彼は全面的に私を頼っていました。 彼はすべて?全くすべ てを私に打ち明けました。 彼にとって私こそ唯一の腹心の友であり、愛人であると信じていた事が間 違いであると分かった時、私の心は粉微塵に砕けた。 彼は私の全てだった。 父であり、愛人であり、 信奉する人だった。 私も彼にとってかけがえの無い存在だと思っていた。 事実が分かり、打ち砕か れ、私はペイン ウィトニー(精神病院)に入院しました。 この失意の後で一番辛かった事は、完全 に栄道に無視されたことです。 お分かりでしょう? 彼はこの私を完全に無視したのです。 彼の 傍らで五年間共に暮らした私をです。 お分かりでしょうか? それでも私は彼を許します。 なぜ ならば、彼は病気だからです。 病人は彼であって、私ではないのです。

1976年7月4日、アメリカ独立200年記念と共に禅界でも大きな行事がありました。 大菩薩の 公式開堂記念式です。 国中の老師、精神的職務にある人びとが招かれました。 ところが弟子の一人、 ノラ サフランは栄道の僧伽内での乱行に絶望して、招待されたすべての人びとに、栄道が自らの地位 を利用して独参室でどのように女弟子を誘惑し、自らの性欲を満たしているか、彼の誤摩化しと嘘偽り の生活を書き送りました。 彼女はこれに抗議するため式礼には出席しないよう頼みました。

しかし当日、栄道の師、宋淵老師以外全ての老師達は出席しました。 宋淵老師の空席が異様に見えま した。 彼は日本に残ったのですが、僧伽の人びとはノラの手紙の結果静かに弟子の不行跡を恥じて、 それに抗議するために欠席し、公式に栄道から遠ざかったのであろうと推察しました。

ノラが私に説明した所によれば、大菩薩の信徒達はそれぞれ出席した老師達に栄道の行状を話しました。 それでも老師達は、自らの面目とアメリカの禅を守るために一切を黙殺したのです!

“宋淵は後で栄道の妻を諭したそうです。 何人かの僧たちの面前で、彼女の夫の誘惑事件を語り、彼 をもう少し管理しなければいけないと忠告しました。 しかし栄道の性欲は権力と共にますます旺盛に なり、弟子達を欺くことも増加して行く経緯は宋淵老師も予期せぬ事でした。”

栄道のいっこうに改まらぬ乱行と、他の禅マスター達の無関心に絶望したノラは、チェルシーに自分の 禅堂を開設しました。 25人程のメンバーは彼女に従い、一部のメンバーは他の禅グループに移り、 その他は禅の修行を完全に放棄しました。

外部では栄道老師は依然影響力があり、彼の人望は無傷だった。 二三ヶ月、ニューヨーク禅堂は半数 に減ったが、間もなく増加し、1977年、ニューヨークタイムス誌が栄道と大菩薩の記事を取り上げ た後禅堂は再び満員になった。

ノラはなぜ栄道の乱行を一般公開しなかったか説明しました。 “この事件が初めて私達の間で表面化 した時、私は皆と同様、即刻、調査陣を送り込み、彼の罪状をヴィレッジ ヴォイスや他の広報機関を 通じて暴露したかった。 しかし私は是等の事を何一つしませんでした。 誤解しないで欲しいのです が、事実、彼のセックス問題は氷山の一角に過ぎないのです。 彼は頭が狂っている、精神異常者に違 いないと私は感じ始めました。 私は彼がありとあらゆる手段を利用して人を騙す様を見て来ました、? セックスはそのほんの一部なのです。 しかし一方で、彼はスワミ(ヒンズーの偶像)でも無く、五 分毎にスキャンダルを起こしていると言う訳でもなかった。 禅仏教は非常に尊厳です。 このような 醜聞は前例がありません。 この男は禅の世界で全く異例の存在です。 もし、外部の人びとが栄道を 知ったら、アメリカの禅を破滅に導くかもしれないと言う懸念が私にはありました。 どうしてアメリ カの禅を犠牲に出来ようか?

一人の僧がキャッツキルの僧堂を掃除していた時、ある女性、仮に彼女の名をローレル スローンと呼 ぶことにしますが、彼女の日記を発見しました。 彼女は何故か慌ただしく僧堂を去ったようです。 彼女の日記には明快に栄道との関係が記されていました。 ❚❚❚❚❚❚❚❚❚ と他の人びとは事態の善処を計 るため、禅スタデイ ソサイエテイの理事会へ日記を提出するよう彼女に勧めました。 彼女は承知し、 続いて騒動が持ち上がりましたが、間もなく嵐は収まりました。 此の背後には当時の禅スタデイ ソ サイエテイの副会長、現在の会長シルヴァン ブッシュが一切を操っていました。 彼は十五年間、栄 道の腹心の弟子を務めました。

1980年、DBZの接心の常連である一人の女性による報告です。 栄道は ❚❚❚❚❚❚❚ という名の尼僧と 恋愛関係にありました。 匿名希望の元弟子は“栄道が彼女に何をしたのか知らないが、❚❚❚❚❚❚❚ の二 年間の変り様は恐ろしい、彼女が初めてDBZに来た時、彼女は魅力あふれる女性だった。 彼女の微笑は 美しく、全てに意欲的だった。 彼女の豪華な赤い髪を今も思い出します。 しかし栄道との関係後、 髪は抜け落ちて薄くなり、灰色に変わりました。 歯は腐り、顔に生気がなく、二十歳は老けて見えま した。”と語っています。

ワシントンD.C.禅堂(ニューヨーク禅堂の衛星的存在)のノーマン ホバーグ禅師/先生は禅教師とし ての視点から是等の出来事を説明しています。 6フィート、4インチの大柄な彼が栄道の話をするた めに私を尋ねた時、私の小さな事務所はいっぱいになりました。

“彼は私の師であり禅マスターです。”彼はまずそのように切り出しました。 “私は彼の生徒であり 弟子です。 これを考慮すると... 要するに彼が誰であるか、そして私が誰であるかという立場を考慮 すると、独参室で感ずるあの威圧を覚えます。 しかし彼が何を考えている男か分からないと言う点は 私も認めます。 私には彼は謎の人物です。 彼は全く不可解だ。 貴女は彼が女性をそそのかして破 滅に導いたと言うが、彼は性的操縦でなく、権力操縦で男も破滅させている。 私は彼がある時若い男 を大声で罵倒している所を見たが、その若い男は自殺しました。

女性は栄道による肉体的強姦を恐れるが、男は彼の油断のならない精神的略奪を受けます。 考えてみ たまえ、女性が私に会いに独参室へ来た場合を、そこは薄暗く、静かで、誰も邪魔する者がいない事は 確かだ?二人は親密そのものだ。 その女性は自分の問題について深刻に悩んでいる、彼女の結婚問題と か、ボーイフレンドの事、それともボーイフレンドが無いという悩みなど様々な悩みを持っている。 彼女はそう言った悩みを相談する為に私の所に来ており、私に答えを期待している。 つまり神様の役 を演じろと言う事だ。 彼女は精神の救済を求めて私の面前に座っているのであるから、私がどんな気 持ちになるか、貴女に理解出来るだろうか? 彼女の弱点がはっきりと感じられるのです。 室内の雰 囲気が殆ど私の手中にあるような感じになるのです。 私の面前に座っている女性と彼女がもたらした 問題?この問題が二人の間に存在している。 私は貴女に打ち明けて言うのだが、この問題を脇へ押しの けたい所動に駆られるのです。 私ですら、気をつけないと彼女を利用しかねない。“

ケンブリッジ仏教徒協会の会長であり栄道の元弟子でもあったモーリーン フリードグッドは、ノーマ ン程同情的ではありません。 “栄道は恐ろしい問題を持っていると思う。 長年私は彼の弁護に努め て来ました。 なぜならば、彼はいろいろな面で秀でた師だった。 私は彼の乱行はやがて治まるもの と思っていた。 しかし彼は思春期の少年のように振る舞い、我慢することを知らなかった。”

モーリーン フリードグッドは二十年、彼に忠誠を尽くしましたが、今では彼の元へ戻る意志はありま せん。 彼女の弟子達には栄道の性癖について警告しています。 “悲劇的だ” と彼女は言っていま す。 “私や多くの人びとは宋淵老師が栄道を日本へ引き取り、誰か後任者を彼の地位に据えるべきで あると思っている。 彼はアメリカ禅のために害悪である”と言っています。





宋淵老師が七年ぶりに渡米したとのニュースをインタヴューの折聞きました。 私は彼に宛ててニュ ーヨーク市禅堂と大菩薩に、受取人保証の手紙を送りました。 私はこの手紙に、栄道に関わる事件と 数々の似通った経験をした女性達とのインタヴューの記録も同封しました。

一週間後、私は大菩薩滞在中の宋淵老師より電話を受け、キャッツキル禅堂で会う約束をしました。 私の方で会見の日時を変更せねばならない事情が出来たので、彼に電話を掛けた所、事務係長のマーク ウレッキーにより電話を遮断され、“当所の規則として”と彼は説明し“宋淵老師には取り次ぎ出来ま せん。 宋淵老師と話をなさるには、栄道老師を通して下さい。 栄道老師は今ニューヨーク市滞在中 で二日後帰って来ます。(私の宋淵老師との会見日が二日後) 現在私に出来る事は、貴女が宋淵老師 と面接したい用向きを栄道老師に伝える事だけです。”と言いました。

宋淵老師に私から電話があった事を伝言してもらえるか、と尋ねると彼は“宋淵老師には取り次ぎ出来 ません”と繰り返すばかりで、“栄道老師を通してのみ取り次ぎ出来ます”とのことであった。

私は彼に、宋淵老師はこの新しい規則を知っているのかと質問しました。

マークは“僧淵老師が知っているかいないかは問題ではない”と言いました。 “肝心な問題は貴女が 宋淵老師と話をしたいなら、栄道老師を経なければならないと言う事です。”

マークは、宋淵老師は老齢で、75歳、健康状態も優れてはいない。 久しぶりの渡米で疲れている。 “この事を考えて見なさい、そして貴女が何をしようとしているか考えれば、栄道老師が正しい事をし ていると分かる筈です。”と言いました。

私は翌日又電話を掛けてみました。 この時私はカナという名の、私が接心に参加した頃受戒した僧と 話をしました。 カナは宋淵老師が人と話が出来ない理由は、彼には既に話し合いをして物事を取り決 める能力がないからだと言うのです。 彼は“物忘れ”しやすく、同じ時間に幾つもの約束をしたり、 約束した事を忘れたりすると言うのです。 “貴女が彼と会合の約束をしたのならば、その時、その場 所に彼がいるかどうか分かりませんよ。” カナは明らかに宋淵老師の老衰を仄めかすのですが、私の インタヴューに応じた大勢の人びとは、誰一人宋淵老師の記憶力が衰えたとは言っていませんでした。

宋淵老師こそ、栄道の権威を上回る唯一の人物であり、唯一人、彼を日本へ送り返す力のある人物です。 栄道が事実上の師であり、自らの禅マスターを監禁するのも故無き事ではありません。

私は宋淵老師と最初に約束した期日に大菩薩へ行く事にしました。 大菩薩の門へ着く前に、門前払い を食うかもしれないと予測していましたが、そうではありませんでした。 私は門の前に車を駐車しま した。 驚いた事に戸は開かれていました。 私は靴を脱いで、段を上り、辺りを見回しましたが僧院 は静かで人の気配すらありません。 私はゆっくり茶室に向かいました。 入り口の敷居の所で中を見 ると、痩せた老人が一人座っていました。 桃色の僧衣を着けて、眠そうな顔つきでしたが、目は澄ん で機敏でした。 私は部屋に入り、丁重に頭を下げました。 彼もそれに答えて、私に手を延べました。

宋淵は話を始める前に、茶を飲もうと言いました。 磨きをかけた茶の湯の一式が既に用意されており、 私は彼が緑茶を立て、陶器の椀に注ぐ動作を静かに見詰めていました。 彼は茶の由来を語り、日本から持参した小さな和菓子を勧めました。 やがて彼は茶器から目を上げ“さあ、始めましょう。 これ は深刻な問題です。”と言いました。

私はノートとテープレコーダーを低い机の上に広げました。 私は静かに話し始めました。 接心中、 独参室で起った私自身の経験を話しました。 栄道が私の見性を主張した経緯を話しました。 引き続 いて起きたニューヨーク禅堂での襲撃も語りました。 電話で彼と対決した話も説明し、他の女性達の 話になると、栄道は“彼女等のことは言うな、あれは別だ、見性を経験したのはお前だけだ”と言った 事 等を語りました。

宋淵は私を見詰め、私は彼を見詰め、私達はそのまま座っていました。 僧院は再び静寂になりました。 彼はやっと口を開き、“これは重大問題だ、非常に深刻だ。 先週の貴女の手紙を栄道に見せて回答を 求めたが、彼の説明は回答になっていない、彼は嘘をついている。”

再び私達は沈黙の内に見詰め合っていました。 彼は沈黙を破り、口を開きました。

“何故か栄道は去ってしまった。 彼には答え等、無いのであろう”

私は宋淵の心を理解しようとして、心を集中して彼を見守ったのですが、手応えはありません。 彼の 眼差しは測り知れない深いものでした。

彼が再び語り始めた時、彼の唇はほとんど動いていなかった。 “この問題は大菩薩開堂の七年前、既 にあった。 今再び問題が起きている。 責任は私にある。” 彼は一息ついて、やっと吐いた。“こ れは深刻な問題だ”

私は前に依頼した“turning word”についての回答を催促しました。 (禅では、”turning word”は 事態を転換させる本質的要素という意味)

彼は驚いた様子で“今日?”と問い返しました。 彼は翌日禅スタデイ ソサイエテイの会長であり、 古い尊敬すべき友人でもあるジョージ ザウナスと相談する事があるので、その後で返答しましょうと 約束しました。

その夜私は電話でジョージと長い間話をしました。 “禅史上並の人間には理解の出来ない奇行で有名 な怪僧はいた。”と彼は言いました。 “是等の歴史を見て言える事だが、私は彼らを審判する事は出 来ない。 私達は今、演芸美術でスタニラヴスキーを出版しようとしています。 このような問題が彼 に降り掛かっているが、実を言えば、お分かりでしょう、私個人の仕事が忙しくて人の事を査定してい る余裕がないのです。

“事実、幾人かの人びとが彼のために傷つけられた、しかしその埋め合わせであるかのように、多くの 人びとは恩恵を受けています。 私は神に成り代わって彼の善悪差引残高の計算をする事は出来ない。 50ポンドの利益があり、そして60ポンドの損失があったとします。 彼は10ポンドの赤字です! このように人の善悪を審判し始めると危険な土地に踏み入ることになる。 なぜならば、誰も人の心の 底にある真実までは見えないのだから。

多分今生で、多分来世で、何らかの決着を彼は見ることになるでしょう。“

次の週、ジョージ ザウナスは15年務めた禅スタデイ ソサイエテイ会長の職を辞任しました。翌朝電話が鳴りました。 私は宋淵老師が私の質問“turning word”に答えるために電話を掛けて来た のだと思いました。 しかしそれは大菩薩住居管理人であり、栄道の腹心の僧であり、理事の一人でも あるデイヴィド シュナイアーだった。 彼は、自分は僧淵老師の秘書として話している、今後一切の 交渉は弁護士を通して欲しい。 ”宋淵は貴女に再び電話を掛けてくれるな、と言った。“ と言いま した。

デイヴィッドは何度も繰り返し、これは宋淵老師の言葉の代弁であると言いました。 しかし、禅スタ デイ ソサイエテイの理事会員であり、国税庁の監査役でもあるフランク ロシセロによれば、デイヴ ィッドは単に栄道の命令に従っているだけだと言いました。 フランクは私の調査をジョージから聞い て、私がデイヴィッドと話をした一週間後に電話を掛けて来て、調査の援助をしようと申し出てくれま した。 “デイヴィッド シュナイアーは嘘をついている、”と彼は言いました。“これはもう一つの 栄道の誤摩化しだ。 多分、デイヴィッドは何が起っているか、何も知らないのだと思う。”

フランクは栄道の行状を公表するために積極的に奉仕した最初の人です。 彼はジョージが理事会宛に 書いた手紙のコピーを彼の許可を得た上で私に送ろうと約束しました。

以下は抜萃の一部です:“マーゴ ウィルキは1975年の栄道老師のセックス スキャンダルが原因 で辞職するまで、理事会で最も活躍した重要なメンバーの一人でした。 彼女は、アジアソサイエテイ、 その他の大きな慈善団体からの出身でした。 私達の友情は彼女の退職後も続き、彼女のデイナーパー テイに招かれて出席すると、多くの有力者達?その一部は過去私達に寄付してくれた人びとでしたが、私 が禅スタデイ ソサイエテイの会長であり、大菩薩や栄道と関係のある者であると紹介されると、皆は 嘲弄して、“あの角の生えたトルコの王様はあの山の中のハーレムで今何をやっておるか?”とか、 “やれやれ、彼奴の精神修養を俺もやってみようじゃないか”と言うのでした。 勿論是等の人びとは、 悪名高い我々を援助する筈がありません。 私達は追加の嘆願を是等の人びとが支配する団体に申し込 んだのですが、彼等の答えは他の方面に関心があるから、私達への寄付は無いと言う事でした。

“過去十年と言うもの、ソサイエテイの財政難は深刻で、犯罪人の寄付を頼ってやっと寺の運営を賄っ ている有様でした。 私達は不法麻薬売買によって得た金で存続していたのです。”

“長年、理事会のメンバー達は、栄道の妻愛法が会計係を務めている事に反対でした。 彼等は絶対に 納得出来ない事だと言うのですが、シルヴァン ブッシュと私とでなんとか宥めて来ました。 しかし、 シルヴァン ブッシュの発言によりこの問題はさらに深刻であったことが表面化しました。 嶋野(栄 道の法律上の名前)は長年所得税の申告を行なっていなかったのです。 どういう事でしょうか? もしこれが事実ならば、さらにもう一つ、理事会の会長と会計係によって、仏法とソサイエテイの怠慢 の一例が示された事になります。 このようなニュースが広報機関に知れたら、私達は終わりなので す。”

調査を進めて行くと、新旧様々な幽霊が現れ、一部の理事会員たちは悪魔払いを試みました:彼等は栄 道老師の辞職を要求しようと試みました。 首謀者はジョージ ザウナスでした。

栄道は策謀的に大きな間違いを犯しました。 第一に彼はペギー クロフォードを理事会から追放した のです。 ペギーは十二年間栄道の忠実な秘書でした。 彼女は何千ドルもの金を寄付したり、栄道を 送り迎えする為にキャッツキルとニューヨークを往復して運転手の役を務める等、ひたすら献身的に栄 道を支えて来た一人です。 彼女は私に向かって、栄道を攻撃する事は私の間違いであると言い、“EST に入って人を審判するべきではないと言う事を学んで来い”と迄言いました。 ペギーは最近、他の禅 マスターの所へ接心に行きたいと許可を願い出ました。 弟子が他の師匠を尋ねて修行する事は珍しい 事では無く?弟子はしばしば、自らの境地を確かめる為に、次々に禅教師等を訪問する?しかし栄道の自 尊心は傷つき、それとも被害妄想に落ち入ったのかも知れません。 彼はペギーに手紙を書きそのコピ ーをメンバーたちに回覧、手紙には“貴女が他へ坐禅に行くと言うのは、当所を支持しない現れである”

“最早、貴女は禅スタデイ ソサイエテイ理事会の秘書として不適当である。”と書かれてありました。 ペギーはソサイエテイの弁護士と相談、他のメンバー達も栄道の態度に同調しなかったため、結局彼は 問題を撤回して“誤解だった”と表明しました。

少なくとも三回、栄道が仕出かしたスキャンダルを弁護して来たジョージ ザウナスがとうとう栄道を 見限ることになった主因は、栄道の宋淵老師に対する酷い虐待でした。 宋淵老師の渡米費用、各地訪 問、彼の日本の寺への献金を含めて総額四千ドルを支払う契約が交されていました。 ところが、宋淵 老師が実際に受け取った額はその半額で、更に悪い事には、その金は汚れたドル紙幣の寄せ集めであっ た事をジョージは後で知りました。 日本の慣習では、これは侮辱行為であり、礼を失した行為であり、 あるまじき事でした。 紙幣は、パリッとした手の切れるような新しい、高額の札で揃え、きちんと和 紙で包んで差し上げるのが常識なのです。 ジョージは完全に激怒し失望しました。

栄道の精神問題が疑問視されることになりました。 ロングアイランドのサウスオーク病院、主任精神 科医であり長い間栄道の友人でもあったドクター小倉ただおは、ペギー クロフォードとジョージ ザ ウナスに宛てて手紙を書いています。 “基本的には栄道は弱い人間です。 彼が大菩薩やニューヨー ク禅堂でかくも輝かしい事業を成し遂げた原動力は、セックス エネルギーから来るものです。 彼に はこのエネルギーをコントロールする事が出来ません。 これに加えて彼の嘘、誤摩化しを考慮すると、 彼を大菩薩やニューヨーク禅堂から除去する必要があると思います。 彼が何処へ行こうと、絶対に指 導的な地位につけてはいけません。”

しかし栄道は果たして辞職するだろうか? 当時、フランク ロシセロは状況を判断して“私は疑わし いと思う。 妻の愛法は理事会のメンバーで、残る六人のうち四人、デイヴィッド シュナイアー、ジ ーン バンキエ、シルヴァン ブッシュ、リー ミルトンは完全に栄道の支配下にある。 望みは殆ど ない。” 1970年の初期から現在に至迄、栄道に対する苦情は絶えない。 デイヴィッドはこれに 対して、“ところで、まだ強姦はしていないだろう?”

とにかくフランクは栄道と愛法を禅スタデイ ソサイエテイの会長と会計係の地位から外し、栄道を大 菩薩禅堂とニューヨーク禅堂の住持の地位から解任させることを提案しました。 ペギー クロフォー ドもこれに賛同しました。

しかし4対3で否決されました。

栄道老師は大菩薩禅堂とニューヨーク禅堂の住持の地位に留まり、(禅スタデイ ソサイエテイ会長の 地位は自発的に引退)、彼の妻は依然会計係の地位を保持しています。

フランク ロシセロ、ペギー クロフォード、アダム フィッシャー、ジョージ ザウナスはソサイエ テイを辞職しました。 理事会は即刻再構成され、ドクター小倉の指導の下に、調査が進められ、解決 が期待されましたが、3名の公明正大なメンバーを見つける事が出来ず、計画は消え失せました。

私は宋淵老師より“turning word”の回答を得られぬまま、彼は短期滞在の後帰国しました。

十一月、栄道老師はインドと本国日本への旅行に出発しました。 真剣な禅弟子のための90日間の結 制が目前に控えているにも拘らず旅立ちました。 彼はその後ニューヨークへ戻ったらしいのですが、 一度ニューヨーク禅堂に姿を現しただけで、実質的にはキャツキルの僧院にも、ニューヨーク禅堂にも 姿を見せず隠れていました。

去年のある秋の晩、栄道老師が大菩薩の接心を終えてニューヨーク禅堂へ帰って来ると、戸に大きく “恥”と書かれていました。 タウンハウスの家に帰ってみるとそこにも“恥”と言う字が書かれてい ました。

禅協会のメンバーは、誰もこの責任者を追求しませんでした。

1982年、4月


--R.W.



メインページに戻る: